2017年8月30日水曜日

英紙ガーディアン【書評】『津波の亡霊~日本の被災地帯における生と死』



【書評】リチャード・ロイド・パリー著
『津波の亡霊~日本の被災地帯における生と死』(仮題)

2011年に日本を襲った地震と津波で破壊された地域社会に向ける思いやりのある透徹した眼差し



2011年の地震と津波の記念日に仙台の海に花を献じる女性。Photograph: Ken Ishii/Getty Images

日本の北東部、東北地方は気候が厳しく、中央から遠隔なので、田舎の僻地と久しく思われてきた。土地の評判と合わせて、その地の住民について――あの人たちは口が重い、頑固だ、どこか得体が知れないといった――遠慮のない一連のステレオタイプなイメージができあがった。この人たちは心中を語らず、歯を食いしばり、思いに蓋をして、むっつり黙って自分の用事をつづける。だが、こうした性格そのものが、マグニチュード9地震につづいて津波が発生し、さらに福島第一核発電所の反応炉がメルトダウン事故を起こして、東北の沿岸地域を襲った2011311日の災害の直後から賞賛に値する資質と見られた。

被災地から報道する記者らは、多くの者がすべてを失っている被災者が示す抑制した態度に驚嘆しながら、東北人の立ち直る力を賞賛した。被災者らは不平をこぼさず、一時しのぎの避難所で秩序を守り、分配される食料の受取の列に並び、弱者や負傷者たちの世話をした。その場に立ち会った人たちは、東北はうまく対処しているという思いにさせられた。

しかしながら、リチャード・ロイド・パリーの本書は、そのような地域と人びとについての既定概念は、一方的な見方にすぎないことをわたしたちに思いださせてくれる。被災後の暮らしの表層の下に別の現実がある。東京に駐在する特派記者、ロイド・パリーは、被災地でなにが起こっているのか理解するために、何度も東北行きを重ねた。その結果として得られたものは、あの日の被災死者18,500人――長崎原爆投下からこのかた、単一惨事のものとしては日本で最大の人命喪失――の99%以上の人命を奪った津波で破壊された地域社会に向ける思いやりのある透徹した眼差しである。本書の執筆のために面接取材を受けた一女性は、変化をこうむったのは暮らしぶりだけではなかったと振り返り、こういった――「つまり、わたしたちの頭です。あの日以来、みな頭がどこか変になっています」。

ロイド・パリーは彼らの頭のなかを理解しようと試み、幾重にも層をなした悲しみが深いにしては、それほど「どこか変」ではないことを知る。彼は、「それぞれの悲しみは異なっており、喪失の環境によって、ささやかに微妙な形で違っている」ことを理解する。その悲しみはまた、家族の遺体がどれほど速やかに見つかり、埋葬されたかといったなどの要因によっても特徴づけられる。遺体が見つからない場合、愛する人の亡骸のありかを知りたいと願って、霊媒の助力にすがる被災者も多かった。

津波が東北沿岸に襲いかかる。Photograph: AP

震災後の東北は亡霊が過多になり、目撃報告が少なからずある。一部の人たちが信じるに、津波がこれほど多くの人たちの命を、世俗の執着を手放す用意ができないままに奪ったのだから、これは致し方ないことだった。幽霊話はありふれていた。死んだ女性が仮設住宅団地の旧友宅を訪れ、座り込んで一杯のお茶を飲んだところ、彼女が座っていたと思われる座布団に湿り気が残されていた。タクシー運転手が、もはや存在しない所番地まで行ってくれという男を乗せ、走っている途中で気づくと、リアシートの客は姿が見えなくなっただけで終わった。

超自然存在を信じるか否かは肝心な点ではない。津波に由来する数多くの亡霊に引導を渡した仏教僧によれば、要点は、人びとが自分は亡霊を見ていたと心から信じていたことにある。東北の「幽霊話」が広く聞かれるようになったので、大学の先生たちが報告の分類に取り掛かったほどであり、聖職者らは――キリスト者、神主、仏教僧を問わず一様に――極端な事例では、生者に取り憑く「不幸な霊魂を鎮めるために繰り返し呼ばれるようになった」。

別の種類の亡霊――村落社会から町村役場、市役所から県庁、果ては中央省庁まで、災害に万全な対応をできなかった実態を晒すなど、社会のすべてのレベルにおける政治的失敗の亡霊――がロイド・パリーの本書のページに一揃い棲みついている。大川小学校の事例ほどに、この失敗を象徴するものは他になく、その物語はこの本を駆動させるエンジンのひとつになっており、みごとに着想された犯罪小説、あるいは心理劇の趣を本書に与えている。
[訳注]石巻市立大川小学校宮城県石巻市釜谷山根にある小学校。東日本大震災津波により、当時在学中の108名の児童のうち74名が犠牲となった。

この話に夢中になって悲劇に深く立ち入ることなく語れば、大震災の当日、9校が津波に呑み込まれ、校内にいて死亡した児童たち75人のうち74人が大川小学校の生徒だった。この困惑するほど不釣り合いな運の差の原因はなにか、児童の親たちは知りたがった。何といっても、他校の児童たちには、警報の発令と津波の到達のあいだに高地へ避難する時間が十分あったのだ。公の説明はくるくる変わり、徹底的な調査に着手することを渋っているようだった。大川小学校の死亡した生徒の保護者の一部は、悲しみと怒りに駆られ、反撃を決意した。親たちは市と県の行政当局を相手に訴訟を起こした。

大震災から1か月、東北の被災死者を慰霊する追悼の祈り。Photograph: Christopher Jue/EPA

だが、その親たちは、奇妙な類いの歴史の亡霊――19世紀日本の近代化の遅れを取り戻すのに有益とわかった強力な国家中心イデオロギーの風潮――に直面した。このイデオロギーは国民を国家の従僕とみなす。公の筋に難癖をつける輩〔やから〕は、良くて迷惑、悪くて村八分にすべき利己的な厄介者と見られる。そのイデオロギーを糧にして肥大した官僚たちが第二次世界大戦の惨禍に国を導いたにもかかわらず、イデオロギーそのものは日本の破壊のなかを生き残った。ロイド・パリーが主張するに、そのような国家主義者の宇宙では、悪政ですら一種の「天災」と考えられ、「平民の影響力を超え、人知のおよばない不運」とされ、つまり「手の打ちようもなく甘受し、我慢する」しかなくなる。ここで明白な危険とは、津波警報の発令後、丘の上に車を停めた年配の家族が、避難センターに報告する義務に駆られて、丘を徒歩で降り、命を落とす羽目になる場合のように、人びとが個人としての判断力を発揮するのを止めてしまうことである。東北人を模範的な避難民にした、その同じ性格の特徴――秩序の尊重、我慢強さ、騒動嫌悪――が、積極的にデモクラシーを志向する市民の成立を妨げていると論じる向きもいるかもしれない。

それでも、苦難も人の権利を求めて戦う欲求を焚き付けもする。今日ではほとんど記憶されていないが、東北には民主的な税負担を求めて懸命に闘った歴史がある。日本で芽生えたばかりの市民社会がどのような種類の憲法が必要か考えていたころの1870年代から80年代、地域に固有な貧困、1860年代内戦[戊辰戦争]における無力と流血の敗北を経験した東北の思想家たちが草の根の論戦の先頭に立ち、その主題は、女性天皇擁立の是非から出版・報道の自由、東北のような「僻地」を日本社会全体に統合するための方策まで幅広くおよんでいた。その当時に議論されていた問題の多くは、今でもやはり現代的な意味を含んでいる。

そのような東北魂に霊感を受けたあらゆる民主化運動のなかでも、五日市憲法は今でも注目に値する。これは、東北生まれ[仙台藩出身]の千葉卓三郎が起草した1881年の憲法提案書だった。その条項の半分以上が国民の権利に当てられていた。千葉は享年31歳で死去し、彼の憲法案が忘れられていた古文書庫で発見されるまで90年近くの時を待たなければならなかった。東北と今日の日本全体が啓示を求めるべき相手は、千葉のような改革者たちである。

Eri Hotta
堀田江里は、Vintage刊“Japan 1941: Countdown to Infamy”の著者。

• Ghosts of the Tsunami: Death and Life in Japan’s Disaster Zone”はJonathan Cape刊。

【クレジット】

The Guardian, “Ghosts of the Tsunami: Death and Life in Japan’s Disaster Zone by Richard Lloyd Parry review,” by Eri Hotta, posted on August 16. 2017 at;

【付録】


(英語ペーパーバック  2017/8/31 / Richard Lloyd Parry  ()
Kindle版:1,200円 ペーパーバッグ:2,071

内容紹介:

2011311日、巨大地震によって発生した高さ37メートルの津波が日本の北東部沿岸に襲来した。津波が引くころまでに、18,000を超える人たちが圧死、焼死、あるいは溺死した。

それは長崎原爆投下以降で単一のものとしては最大の人命喪失だった。国家的な危機、それに核発電所のメルトダウン事故を引き起こした。そして、直後の緊急事態が収まった後でさえ、惨事のトラウマが奇怪で謎めいた形で表出した。

受賞歴のある外国特派員、リチャード・ロイド・パリーは東京で地震を乗り越え、6年にわたり被災地域からの報道をつづけた。その地で彼は、亡霊と幽霊の出没の話に遭遇した。彼は、死者の霊に憑かれた人たちの除霊をおこなった聖職者に会った。そして彼は、なかでも最大の損失をこうむった村落、それ自体の忍びがたい謎に苦しむ地域社会に何度も何度も引き戻されるように通うようになった。

津波が到来する前の束の間、校庭で待っていた地域の児童たちに本当はなにが起こったのだろうか? なぜ教師たちは子どもたちを安全な場所に避難させなかったのだろうか? そして、なぜこの耐えがたい真実がこれほど頑なに隠されているのだろうか?

Ghosts of the Tsunami”は、文学的なノン・フィクション、体験をくぐり抜けて生きた人たち自身の物語を通して語られる壮大な悲劇の心痛む徹底的な記述である。本書は、国家が破局的事態の向き合った様相の物語と廃墟のなかに慰めを見つけるための絶望的な闘いを語る。





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