2017年10月20日金曜日

#人民新聞【郡山から】#フクシマ☢惨事戒厳令の地 清き一票はどこに吹き寄せられるのか?

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郡山から

フクシマ惨事戒厳令の地
清き一票はどこに吹き寄せられるのか?
福島県郡山市在住 井上利男

国際原子力ロビーの治外法権地

まず、筆者のツィートから――

 「報道管制」は過剰表現、言い過ぎだろうか?

 2011年3月11日、東京電力福島第一核発電所の放射能放出事故の直後、時の菅首相が発令した原子力緊急事態宣言は、12月に野田首相が核事故の収束を宣言したにもかかわらず、6年半後の今も撤回されていない。

 そして、文部科学省は事故のほぼ1か月後、4月19日付け文書「福島県内の学校の校舎・校庭等の利用判断における暫定的考え方について」を福島県知事・教育委員会あてに通達し、福島県内の子どもたちの年間被曝限度を20ミリシーベルトと定めた。この特例措置を「国際的基準を考慮した対応」と言いつくろうが、民間人の年間被曝限度を1ミリシーベルトと明記した電離放射線障害防止規則を無視する「超法規的」措置であり、根拠は事故後に届いた国際放射線防護委員会(ICRP)書簡だけである。

たとえば県境の南の茨城県では、公園の測定値が年間1ミリシーベルト限度を超える場合、立ち入りが規制されるが、福島県の市町村では除染事業が終了したとして、まったくお構いなし。福島県民は憲法が保証する「法のもとの平等」を否定されている。福島県は、ICRPをはじめ、国際原子力機関、世界保健機関、原子放射線の影響に関する国連科学委員会、放射線影響研究所など、国際原子力ロビーの治外法権地といっても過言ではない。
郡山市内にて2012年夏、0.83 μSv/h7.27 mSv/y)。撮影:筆者
そして、この年間20ミリシーベルト基準に基づいて避難区域が次々と解除され、住宅支援などが打ち切られ、避難民の生活保証が切り捨てられている。

事故直後、放射能「安全」ならぬ「安心」を説いて回った山下俊一・長崎大学教授(福島県立医科大学の非常勤副学長を兼任)は5000億円の医療利権を手土産に福島県入りしたという。廃炉・除染・復興など、巨大事業も利権の温床といっても間違いないだろう。

従順な人びと

 いくつかの賠償訴訟を除いて、たいがいの福島県民は従順な姿勢を保っている。三代目だという若い商店主は筆者の出席した座談会で、「現在の放射線値は安全だという専門家がいます。危険だという学者もいます。わたしがどちらかに賛成すれば、『中立』じゃなくなっちゃうでしょ」と語った。筆者は唖然として、「放射能汚染はあなた自身の問題であり、子どもの健康にかかわる事態です。あなた自身が第三者的な立場を捨てて、行動すべきじゃありませんか」と諭したが、わかっていただけたかどうか、いささか自信がない。

 もうひとつ例をあげると、2012年夏以降、毎週挙行している「原発いらない金曜日!」郡山駅前フリートーク集会でバナーを掲げていた若い女性に中年男が寄ってきて、「オメェ、どこに勤めているんだ」と脅したことがある。教育委員会だけでなく、商工会、医師会、地元新聞社など、(放射能と同じく)目に見えない戒厳令体制の構成機関は多岐にわたる。



さて、衆議院選挙にまつわる福島県内の現況について…

 安倍首相のモリカケ疑惑追求回避「ワガママ」衆議院解散、小池都知事の「希望」を僭称する党の創設、前川民進党代表の「希望の党」合流表明に伴い、福島県でもリベラル派と目される女性候補も含めて5区ある選挙区の民進党候補者の全員が希望の党に認定をお願いするような状況に一旦はなった。3区の玄葉光一郎前議員が民進党の選対本部長代行として、若狭勝氏とともに候補者の調整に当たっており、これでは、昨年7月に参議院・福島選挙区で民進党の増子輝彦候補が現職法務大臣に勝利した快挙を後押しした、共産、社民、市民連合に対する裏切りになる。

 毎日新聞福島版によれば、玄葉氏は「前原代表の大英断だ」と合流を評価、同氏の秘書は「地元の支援者も大半が歓迎ムード。『与党議員として活躍していたころの玄葉さんが、また見たい』という期待も大きい」と意気込んだという。

 ところが、1区の金子恵美・民進党前職が103日になって、安全保障関連法や憲法改定の必要性を認められないとして、希望の党には公認申請せず、無所属で立候補すると表明した。それに伴い、共産党は立候補者を取り下げたので、野党共闘が成立した形になった。3区の玄葉氏も、なぜか希望の党の公認リストに記載されておらず、無所属になるようだ。残る2、4、5区のいずれも希望の党である。

 今のところ民進党福島県連は解散せず、5人の元民進党員を分け隔てなく支援するというが、さてどうなることだろうか?

 東京電力福島第一および第二核発電所のお膝元であり、郡山市に三菱電機工場が立地するなど、福島県は連合が強い土地であり、核事故時の佐藤雄平知事は連合と民進党の支援を得て、県知事選で勝利している。

子どもの被曝回避は野党の一部のみ

 余談だが、事故後に整備された郡山市内4か所の遊戯場について語りたい。

外遊びの機会を奪われた子どもたちのために、市内各地に屋内遊戯場の設置が計画されていたが、「屋内の施設を作ることで、県外に誤った(郡山が危険だという)情報を発信することになる」という理由で屋外遊戯場に変更された。


情報開示請求文書の一部。委員名は黒塗り。

大安場史跡公園内運動施設の計画図

 郡山市「2014年9月補正予算」子育て支援・教育振興関連経費として整備事業の実施設計委託のために7100万円が計上されたが、反対討論に立ったのは共産党会派と市民会派だけであり、自民、民主、社民(!)各会派の賛成で可決された。市議会レベルでは保守と革新を問わず、地縁・血縁のしがらみが強いようであり、このような事情も被曝地戒厳令体制を強固に支えている。

今回の衆議院選挙で野党と市民グループの共闘が躍進することを強く願うが、たとえ前進するにしても、フクシマ惨事被曝地の闇は深い。

(原発いらない金曜日!郡山駅前フリートーク集会世話人。ブログ:原子力発電・原爆の子。ツイッター:@yuima21c

人民新聞ウェブ版リンク・・・







【衆院選特集(2)福島】

清き一票はどこに吹き寄せられるのか?


惨事戒厳令の地・福島





2017年9月2日土曜日

BBC【ヨーロッパ】ドイツ西部のアーヘン市、ベルギーの原発事故を恐れてヨウ素剤を無料配布

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ベルギー原発事故の恐れのさなか
ドイツ西部アーヘン 市民にヨウ素剤を無料配布

1 September 2017 Europe

ティアンジュ核発電所は、ベルギー国境近辺のドイツ国民の心配の種。Photo: AFP

ドイツ西部の都市、アーヘンはベルギーの核発電所がリスク要因になると見て、近辺に居住する約500,000人を対象にヨウ素錠剤の無料配布をはじめた。

市民はアーヘン市ウェブサイトで登録して、薬局に備蓄されている錠剤と交換可能なクーポンを受け取ることができる。

放射能放出のあと、ヨウ素を服用すれば、甲状腺癌リスクを減らすことができる。

アーヘンから70キロ(43マイル)ほどの距離にあるベルギーのティアンジュ核発電所に対して、ドイツ人の抗議活動がおこなわれてきた。

同発電所および他にもアントワープ近くのドール核発電所の核反応炉は、安全点検のための運転停止を繰り返してきた。両所合わせて、反応炉が7基ある。

何基かの反応炉で、水漏れしたり、微小亀裂が見つかったりしたので、稼働が停止されたのである。

ベルギーの連邦原子力機関(AFCN)は、国際的な有識者らが関与した微小亀裂の科学的な点検の結果、放射能漏れの可能性は示唆されなかったという。

ドイツは、2022年までに核反応炉全基のスイッチを切ることを目指している。

ベルギーは、2022年にドール3号炉、2023にティアンジュ2号炉、2025年に残る5基の閉鎖を計画している。だが、その計画で予測される6,000メガワットの電力不足をどのようにして穴埋めするか、懸念されている。

ドイツの当局筋は、ベルギーに対し廃炉予定を早めるように呼びかけた。

 




アーヘン市がヨウ素錠剤を配布する動きは、特定の緊急事態に急き立てられてのことではないので極めて異例である。今回のアーレン市の方針は、ノルトライン・ヴェストファーレン州政府の承認を得ている。

ヨウ素は、人体の自然作用によって甲状腺に集積する。錠剤を服用することによって、甲状腺がヨウ素で飽和状態になり、発癌性のある放射性ヨウ素が入りこめなくなる。

アーヘン市の人口は約150,000人だが、周辺3地域の住民も無料錠剤の受取資格が与えられている。各人はブリスター包装の6錠を確保できる。

Image copyright AACHEN.DE 【画像キャプション】アーヘンの人びとはブリスター包装されたヨウ化カリウム錠剤を無料で受け取ることができる

緊急時服用

ヨウ化カリウム錠剤はドイツで集中的に備蓄されており、民間防衛にかかわる非常時にだけ活用される。

だが、アーケン市当局筋は、ティアンジュ核発電所がとても間近に所在しているので、緊急時にすべての所帯に錠剤を配布するのは――夜間に核事故が勃発すれば、なおさら――困難であると主張した。

服用量は、各人の年齢によって異なる。当局筋は、年齢が46歳以上の人びとが服用すれば、深刻な副作用のリスクが放射性ヨウ素による癌のリスクよりも大きくなるので錠剤を与えられないという。その人たちには代わりになる甲状腺薬――イレナット――が処方される。

ヨウ化カリウムの初回服用量は、成人または13歳以上の児童の場合、2錠である。

3歳ないし12歳の児童では1錠、幼児で半錠、乳児で1錠の4分の1である。

アーケン市当局の代理広報官、リタ・クルーチェスは、「わたしどもは2年間以上も核反応炉の亀裂が大きくなっていると心配してきました。住民は非常に心配しています」と述べた。

彼女は、「わたしどもは、この件についてベルギー側と協議を重ねてきました。アーケンの市長も関与しました。それでも、ベルギー側に反応炉を停止していただけませんでした」とBBCに語った。

ドイツで924日に議会選挙の投票が実施されるが、ミズ・クルーチェスは、ヨウ素剤の配布は「選挙となんの関係もない」と強調した。「このことがいま進行しているのは、偶然に過ぎませんし、影響がおよぶ範囲はドイツの小さな地域に過ぎません」と、彼女は述べた。

Related Topics: Germany Nuclearpower Belgium

【クレジット】

BBC, “Germans in Aachen get free iodine amid Belgium nuclear fears,” posted on September 1, 2017 at http://www.bbc.com/news/world-europe-41121761.


2017年8月31日木曜日

英紙ガーディアン【訃報】長崎原爆投下を生き延びた反核活動家、享年88歳で死去


長崎原爆投下を生き延びた反核活動家
享年88歳で死去

米国の原爆を体験し、核軍縮を訴える活動をしてきた谷口稜曄が癌で死去した

米国が日本の都市に原爆を投下したとき、谷口稜曄は齢16歳だった。Photograph: Eugene Hoshiko/AP
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AFP通信東京支局 Agence France-Presse in Tokyo
2017830

1945年に米国が原爆を投下したとき、長崎で郵便を配達していた著名な核軍縮活動家が享年88歳で死去した。

長崎と広島の原爆投下による被爆者を代表する団体、日本被団協[日本原水爆被害者団体協議会]によれば、かつてノーベル平和賞の受賞一番手と目されたことのある谷口稜曄〔たにぐち・すみてる〕が、日本南西部の都市にある病院において癌で死去した。

原爆が投下されたとき、16歳だった当時の郵便配達員は、背中と左腕に恐ろしく重い火傷を負い、それが快癒するまで何年もかかった。

少年は、爆心地から1.1マイル(1.8キロ)の地点で自転車に乗っていた。

彼は2015年の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典で、次のように語った――

「突然、背後から虹のような光が目に映り、強烈な爆風で吹き飛ばされ道路に叩きつけられました。しばらくして起き上がってみると、わたしの左手は肩から手の先までボロ布を下げたように、皮膚が垂れ下がっていました。背中に手を当てると着ていた物は何もなくヌルヌルと焼けただれた皮膚がべっとり付いてきました。

「真っ黒く焼け焦げた死体。倒壊した建物の下から助けを求める声。肉はちぎれ、ぶらさがり、腸が露出している人……一晩中火の海でした。地獄でした」

米軍が病院で回復中の彼を撮影し、溶けた肉が痛々しい板のようになった背中全面の画像が世界に向けて配信されたとき、彼は原爆後遺症患者を代表する初期の数少ない顔のひとりになった。

原爆投下後の3年半、入院していた谷口は、やがて著名な軍縮運動活動家になり、日本と海外でみずからの体験を語った。彼は2003年のAFP通信によるインタビューで、次のように述べた――

「わたしは、人びとが、特に若い世代の人たちが関心を失いはじめているのではと恐れています。若い世代には、核兵器が人類を救うことが決してないことを忘れないでほしいと思います。核の傘がわが国を守ってくれると信じるのは幻想です」

米国は194586日、最初の原子爆弾を広島に投下し、約140,000人を殺した。この死者数には、爆発そのものでは生き残ったものの、まもなく重度の放射線被曝で亡くなった人びとも含まれている。

米国はその3日後、港町、長崎にプルトニウム爆弾を落とし、74,000人を殺した。

【クレジット】

The Guardian, “Nuclear campaigner who survived Nagasaki bombing dies aged 88,” via Agence France-Presse in Tokyo, posted on Wednesday 30 August 2017 at;

【国内ニュース】

毎日新聞【訃報】
反核運動を主導 長崎で被爆
 長崎で被爆し、国内外で核廃絶を訴えてきた日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の谷口稜曄さんが30日、十二指腸乳頭部がんのため長崎市内の病院で亡くなった。88歳だった。通夜は31日午後7時、葬儀は9月1日午後1時、同市光町16の18の平安社長崎斎場本館。自宅は同市大鳥町15の33。喪主は長男英夫さん。

 長崎の被爆者運動の象徴的存在だった日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)代表委員の谷口稜曄さん(88)が30日、亡くなった。長崎原爆で背中一面を焼かれた自らの写真を示し、国内外で核兵器の恐ろしさを繰り返し訴えてきた谷口さん。念願だった核兵器禁止条約が7月に国連で採択されたことを喜びながらも、進展が見えない核兵器廃絶の行方を死の直前まで気にかけていた。

【評伝】
 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員などを務めた谷口稜曄さんが88歳で亡くなった。米国による長崎への原爆投下から72年。1945年8月9日を生き延びた被爆者として、果たすべき役割を絶えず自らに問い、核兵器廃絶と平和な世界を願って発言、行動し続けた人生だった。

【当ブログ内記事】

2015831日月曜日
…この計画は、死者70,000人を出した19458月の長崎市に対する原爆投下を記念する先日の式典で批判された。被爆者のひとり、86歳の谷口稜曄さんは、安倍氏の新法制を容認できないと語った。

2015810日月曜日

201587日金曜日

わたしは16歳でした。爆心地から約2キロですね。2キロのところを自転車で走っていて、後ろから灼かれました。わたしは被曝してから37か月、病院で生活しました。19か月はうつぶせのままで過ごしました。