2018年1月2日火曜日

CNN『戦争の結果』フランシスコ教皇が長崎の焼き場に佇む少年の写真を配布

 最終更新:2018年1月3日


『戦争の結果』:フランシスコ教皇がナガサキ被爆者の写真をカードに印刷
スザンナ・カリナン Susannah Cullinane, CNN
20171231

教皇が公開した写真は、米国の写真家、ジョセフ・ロジャー・オダネルが1945年に撮影した。

CNNフランシスコ教皇は、長崎原爆被爆者の写真をカードに印刷させ、「戦争の果実」ということばを添えて、配布させようとしている。

その写真は、死んだ弟を背負い、火葬の順番を待っている少年の姿を捉えたもの。米国海兵隊の従軍写真家、ジョセフ・オダネルが第二次世界大戦末期の原爆投下からほどなくして撮影した。

世界のローマカトリック教徒を率いる教皇は、カードの裏に署名“Franciscus”に添えて「戦争の果実」と印字するように依頼した。

短文のキャプションが写真の内容と出処を説明し、その一部は「幼い少年の悲しみが、血がにじむ唇を噛み締めた姿に表されている」と読める。

写真説明文の上方に、教皇の署名。

米国議会図書館の記録によれば、オダネルは、1945年、米軍によるヒロシマ・ナガサキ原爆投下によって、日本が降伏を強いられ、第二次世界大戦が終結してからの4年間、両市で原爆の影響を記録して過ごした。
[訳注]Wikipediaジョー・オダネル
2007年、テネシー州ナッシュビルにて没。命日は奇しくも89日『長崎原爆忌』である。2007年、日本の皇后陛下は、オダネルが従軍中の長崎で撮った「焼き場に立つ少年」の新聞への掲載が、その年に印象に残ったことの一つとして言及されている。

【スライド】史上初の原子爆弾の実戦使用

1945716日、米国はニューメキシコ州の実験場で世界最初の原子力爆弾を起爆した。その1か月もたたないうちに、原爆が日本の広島・長崎に投下された。その惨状が日本の無条件降伏をもたらし、第二次世界大戦は終結することになった。1/19

物理学者、アルバート・アインシュタイン(左)とレオ・シラードは1939年、米国大統領、フランクリン・D・ルーズベルト宛てに書簡をしたため、原子爆弾をドイツが作る前に研究開発するように要請した。米国は1942年になって、核反応炉を建造し、原爆を製造する最高機密のマンハッタン計画を認可した。2/19

米陸軍大佐、レズリー・R・グローヴス(左)は1942年、マンハッタン計画の指揮官に指名された。右の人物は、ニューメキシコ州はロスアラモス国立研究所を率いた物理学者、J・ロバート・オッペンハイマー。3/19

100トンのTNT火薬を山積みした台の上で記念撮影するロスアラモス作業員ら。TNTは放射性降下物の量を正確に測定するために用いられた。4/19

マンハッタン計画はまた、テネシー州オークリッジやワシントン州ハンフォードの研究施設をも動員していた。オークリッジに立てられていた、このような掲示板は、事業の最高機密性を作業員らに銘記させるため。5/19
[訳注]あなたがここで見たこと、あなたがここでしたこと、あなたがここで聞いたことは、あなたがここから退出するさい、ここに置いていってください

19427月、ニューメキシコの実験が成功する2日前、塔の上に原子爆弾を据え付ける作業員ら。6/19
トリニティは、ホルナダ・デル・ムエルト[死者の旅]砂漠で炸裂した実験爆弾のコード名。7/19

194586日、エノラ・ゲイの離陸直前に操縦席から手を振るポール・ティベット空軍大佐。ほどなくして、搭乗員らは最初の実戦用原子爆弾を投下し、広島市の人びと80,000人を殺害した。8/19

原子爆弾、愛称「リトル・ボウイ」が落とされた直後の広島の航空写真。9/19

米海軍巡洋艦内で広島爆撃報告書を読むハリー・トルーマン大統領。トルーマンはその8日前、日本に対し、無条件で降伏しなければ、国が破壊されると警告していた。10/19

広島市内の橋に刻印された白い影は、爆弾で焼け焦がされなかった部分を示す。人間――もうひとり別の人間によって炸裂の熱光線から遮蔽された人――の輪郭だと伝えられる。11/19

広島市内の仮設病院で蝿まみれになった高齢の被爆者。12/19

194589日、長崎に爆弾が落とされる数時間前、原子爆弾、愛称「ファット・マン」のそばに立つ作業員。13/19

長崎原爆の爆心地から10キロほどの地点で撮影された写真。長崎原爆資料館のキャプションによれば、写真家、松田弘道は爆撃の15分後にこの写真を撮った。14/19

背景で火炎が燃え盛るなか、破壊の現場を歩く長崎被爆者ら。15/19

爆撃の当日、長崎市内を歩く女性と子ども。70,000人あまりが瞬時に殺害された。16/19

1945815日、トルーマンが日本の降伏を発表し、電話に殺到するホワイト・ハウス報道陣。17/19

原爆投下の3週間後、上空から見た広島の惨状。18/19

194592日、米海軍ミズーリの艦上で日本の公的な降伏の署名を見守る陸・海軍兵ら。19/19


オダネルの写真集は“Japan 1945: A US. Marine's Photographs fromGround Zero”のタイトルで出版されている。
[訳注]仮題『日本1945年――米国海兵隊カメラマンの爆心地写真集』。Amazon.co.jpリンクは訳者による。他にも日本語訳写真集として『トランクの中の日本――米従軍カメラマンの非公式記録
[書籍イメージは訳者による]

CNNのヴァチカン上席アナリスト、ジョン・アレンは、次のように彼のウェブサイトに書いた――

「新年を迎える準備に写真をばらまいても、教皇の立場に実質的なものをなにも加えないだろうが、それでもフランシスコは初めて、特定のイメージを休暇シーズンに配布するように指示したのであり、そのメッセージが現時点で格別に今日的な意味を示していると教皇が信じていることを窺〔うかが〕わせる」

アレンは、教皇が以前にも核兵器を断罪し、紛争が子どもたちにもたらす影響を強調していたと書いた。

【クレジット】

CNN, “'The fruit of war': Pope Francis prints photo of Nagasaki victims,” by Susannah Cullinane, posted on December 31, 2017 at;




2017年12月31日日曜日

ニューヨーク・タイムズ紙【スポーツ】#フクシマ☢惨事:福島で野球しますか?


フクシマで野球しますか
セス・バークマン SETH BERKMAN 20171229

福島市・松川運動公園の野球場で11月、プレイする子どもたち。福島県の一部地域――特に県庁所在地、福島市――は、スポーツを通して地名のイメージを変えようとしている。Credit: Seth Berkman for The New York Times

【福島発】JR福島駅はあちこち大量の色鮮やかなバナーや広告で飾りたてられて、近く開催されるロードレースと地元サッカー・クラブ「福島ユナイテッド」を祝していた。

この街には、野球とバスケットボールの両競技で新たに結成されたプロリーグ加盟チームもあった。両チームとも、ホープスとかファイアーボンズとかいった心躍るチーム名を掲げており、その後者とは、21歳のポイントガード*、猪狩渉〔いがりわたる〕によれば、地域社会の絆につながるチームの精神を表現した名称である。
21歳のポイントガード、
*[訳注]Wikipediaポイントガード】「ポイント」とは得点ではなく線路の分岐器 (ポイント) を意味し、チームの司令塔の役割を担う。


スポーツ熱が盛りあがっている土地にとって、願ってもない恩典が3月に舞いこみ、東京2020年オリンピック大会開催のおり、福島市で野球とソフトボールの両競技を実施することを国際オリンピック委員会が承認した。

それでもなお、福島は悲劇の地のままである。

2011年の東北地震と津波が福島第一原子力発電所のメルトダウンと放射能漏れを引き起こした。コネティカット州ほどの広さの福島県土の隅々まで荒廃が忍び寄った。200万人近くの県人口のうち、発電所近くに居住していた160,000人あまりが逃散したり、避難したりし、推定16,000人が死亡した。

惨事は福島の名折れにもなった。観光が低迷した。日本国内の他の地域では、福島産の製品や原材料が敬遠された。

7年近くたって、県――主として県名と同じ名の県庁所在都市――の財界は、スポーツを通してイメージを変えようと企てている。

自動販売機の側面に新結成の野球チームの広告。
Credit: Seth Berkman for The New York Time


福島生まれで、いまはスポーツ用品店「スポーツランド」のオーナー、サイトウ・ノブユキは、次のようにいった――

「わたしたちはチェルノブイリと同じように見られています。変えるのはむつかしいです」

岩村明憲〔あきのり〕は、福島の地名の誉れ回復を願うひとりである。

岩村は、2008年ワールドシリーズでタンパベイ・レイズの二塁手として先発で出場した。彼はまた、2度にわたりワールド・ベースボール・クラシックの日本チームとして優勝を果たし、13年間、日本野球機構のプロ野球選手としてプレイした経歴もある。

現在、38歳になった岩村は野球機構の最底辺で頑張っている。彼は、出場してもほとんど観客が来ないセミプロ野球チーム「福島ホープス」の代表だ。岩村は、チームの競技レベルを米国のプロ野球ダブルA[マイナー・リーグの中級レベル]と同程度と評した。

「わたしは伝道者を自認しています。たとえ多くの人たちが否定的な形で福島の名を知っているとしても、それを肯定的な形に変えなければなりません」と、岩村は述べた。

地震と津波が襲ったとき、岩村は楽天ゴールデン・イーグルス選手として出場する準備をしていた。岩村は南日本の愛媛県の出身だが、引退後に福島の再建に助力することが彼の「天命」になった思いがしたと述べた。岩波は、彼を励ました人たちのひとりが、シカゴ・カブスのジョー・マドン監督であり、レイズ時代に彼のコーチを務めていたと語った。

ホープスの本拠地、福島県営あづま球場が2020年オリンピック大会の競技場になるとき、岩村は地域のイメージ向上を担うべく檜舞台に立つかもしれない。岩村はそれを、惨事を超えた行き方について世界に情報発信する今ひとつの機会と見ている。

11月の福島県営あづま球場。2020年オリンピック大会、野球・ソフトボール競技の一部がこの野球場で開催される。
Credit: Kyodo News, via Getty Images


岩本はいう――

「みなさんが国に帰ったら、それぞれの国の人たちに印象を伝えていただけるでしょうし、そうなれば、もっと多くの人たちが観光に来てくれるでしょう」

球場は県都に所在し、東京から新幹線で約90分、福島第一原発から約90キロ西に位置している。福島市は原発および海岸部に近接した町村ほどには大きな被害を受けておらず、このことが、オリンピックのせいで被害がもっと深刻だった地域の状態が無視されると信じている批判論者たちを懸念させている。

福島が野球競技の開催地になると3月に発表されると、ただちに反核活動家たちはこの動きを糾弾した。彼らは、これによって福島が正常に戻ったという舌先三寸がまかり通るようになり、いまだに自宅に戻れない――あるいは、永久に帰宅できない――推定120,000人の住民が向き合っている未完の苦境を言いつくろって隠すことになったと主張した。

東京に所在する「原子力情報室の事務局長、松久保肇〔はじめ〕は、「日本政府は福島のイカサマな側面を見せたがっています」といった。執務室で松久保は、日刊紙スポーツ面の戦績データ表にも似た、福島県内・全市町村の放射線レベル一覧表を掲載した福島民報紙のコピーを見せてくれた。

市民たちが放射線レベルのような環境データを独自に測定するのを助けている団体、セーフキャスト(Safecast)で活動しているアズビー・ブラウンは、オリンピック観戦客が野球場の近くで1週間滞在しても、正常より高いレベルの放射線で被曝することはないだろうと語った。それでも彼は、福島に関する政府の情報発信に同意できなかった。ブラウンは、Eメールで次のように認めた――

「地域社会は破壊され、真実の説明責任は果たされず、環境汚染は数十年にわたり根強く残り、その全期間を通して警戒と入念なモニタリングが必要になるでしょう。放射線測定結果を受け入れ、帰還するという合理的な決定を人びとは、それでも、まるで幽霊屋敷に住んでいるかのように、頭から離れることのない不安と疑心を胸に抱きながら暮らすことになります」

20113月の福島第一原子力発電所・第3核反応炉。メルトダウンと放射能漏出を引き起こした東北地震・津波は、地域を永久に変えてしまった。Credit: Digital Globe, via Reuters

20139月、日本が2020年オリンピック大会開催権を勝ち取ったとき、安倍晋三首相はフクシマの「状況はアンダー・コントロール」状態にあると国際オリンピック委員会に保証した。

その4年後になってブラウンは、ゼネコン各社が東京周辺のオリンピック関連事業の受注確保に躍起になっているので、壊滅的な被災地の公共基盤構造再建事業が遅れていると述べた。

福島県の内堀雅雄知事は、県土は再建の目覚ましい前進を見せておりますと言い張った。内堀は、県民の誇りとして、地域における観光地の絶え間ない再開とスポーツ熱の盛りあがりの影響を挙げた。

内堀は、汚染地域の再建と人口減少を見過ごすわけにはいかないと付言し、これら二項対立的な側面は福島の「光と影」であるといった。彼は、福島でオリンピック競技を開催することについて、次のように述べた――

「現時点で、わたしには否定的な視点がなんら見当たりません。ですが、福島で競技会を開催してよかったとみなさまに思っていただけるように、わたしは組織委員会および政府と協力したいと思います」

内堀は、福島の状態にまつわる「風評」が県土を覆う影に寄与していると言いそえた。

福島県楢葉町のような場所では学校が再開されたが、近くの他の町は無人のままである。Credit Tomohiro Ohsumi for The New York Times

原発の浄化解体作業に40年に達する歳月と22兆円あまりの経費がかかると見積もられ、福島県の広大な地帯が無人のままである。

それでも、一部の住民はオリンピック競技の開催に希望を見ている。

夏にヒューストンでインターン生活を体験し、ヒューストン・アストロズのワールドシリーズ制覇がハリケーン被災都市の市民モラルに与えた影響を目のあたりにした福島大学の学生、ワタナベ・アヤは、次のようにいった――

「いま福島でオリンピックをやらなければ、これからずっと福島のイメージは変わらないでしょう。これは福島の未来を変える非常に大きなチャンスです」

ホープスやフィアーボンズといったチームはまだかなり新しいが、スポーツが福島の復興にどのように役立つことができるか、選手たちは既に見ている。

ディオン・ジョーンズはモンマス大学で大学バスケットボール試合に出場し、ファイアーボンズに入って1年目である。彼の母親は当初、彼が福島に住むことに心配していたが、その彼はその地で楽しんでプレイし、ポイントガードの猪狩や、近隣の街、二本松市出身の菅野翔太といった地元のチームメイトの経歴や苦労に学んでいる。選手たちは週に数回、地元の学校で競技を指導している。チームの広報担当女性は、ファイアーボンズのホームゲームは2,000人程度のファンを集めるという。ジョーンズは、こういう――

「バスケットボールを少しばかり超えたもののために、プレイしているのです。福島のみなさんのために、試合しているのです」

そしてお次は、日本の国民的スポーツ、野球の出番である。東京が2020年オリンピックを勝ち取ったあと、歴史的観点からいっても、日本の若者たちの野球人気からいっても、オリンピック大会に野球競技を特別に再導入すべきだとして、強力な運動が繰り広げられた。2011年の津波のおかげで、競技開催のチャンスが福島に舞いこんだ。福島県高等学校野球連盟の小針淳理事長は、過去6年間にわたる高校野球部員の登録数の減少傾向を見守ってきた。小針は、こういう――

「これは間違いなく原発事故のせいです」

浪江町にて20162月、避難区域内の放棄された家屋。今年はじめ、原発からほんの4キロに位置する浪江町の住民の一部は帰還を許された。しかし、元住民21,434人の大多数は、帰還どころか、自宅の解体を要請された。Credit: Christopher Furlong/Getty Images

息子のリョウタが福島商業高等学校の野球部員であるクリカマ・ミワコは、津波に襲われて、避難した。リョウタの小学校は恒久的に閉鎖された。時にクリカマは、息子が練習できるグラウンドを探すためだけで90分の道のりをドライブした。

クリカマは最近の日曜日の朝、福島市の信夫ヶ丘球場で高校のチームメイトと練習試合をしている息子を見守っていた。彼女は他に6人の母親たちと一緒にホームベースの背後に座っていた。母親たちはスナック菓子を分け合い、黒板にスコアを付け、挟殺プレイやタイムリー安打を見ては、声を合わせて笑い、応援していた。

クリカマは、何人かの選手を、息子の学校が閉鎖される前、小学1年生のときから知っていた。こうして再び一緒になると、憂さが晴れ、親しみのある交流を楽しめた。

近くの野球場では、2年半もすればオリンピック選手たちが歩き回るのと同じあづま総合運動公園のフィールドで、福島市リトルリーグの選手たちが試合をしていた。松川運動公園球場では、子どもたちのトーナメントが、日本のプロ野球にも似た大音量メガフォンのサウンドトラックで応援されていた。これほど正常であっても、一部の住民にとって、こうした光景は2011年惨事の亡霊を思わせるかもしれない。

あづま公園内のフェンスで囲いこまれた区域では、除染廃棄物詰めの巨大な黒色バッグが数百袋も目の高さ以上に山積みに保管され、まだ適切に処分されていない。福島市は環境省に対し、オリンピック前に除染廃棄物袋を除去するように働きかけているが、目下のところ、要望に反して、野球場をもうひとつ造成できるほど広い区域が廃品置き場同然になっている。

福島市の周辺の野球場で、子どもたちが一塁ベースラインを駆けたり、右翼フライを追いかけたりしているが、その日の放射線レベル――スコアボードの点数よりも深刻な意味をもったデータ記録――を告げる不吉な表示のそばを通ったりもする。

スポーツは福島県民の一部の癒やしに役立っていても、未来についての疑念全部を消し去ってはいない――そして、おそらくスポーツにそのような期待をかけるべきではないのだろう。

11歳の息子、ケイゴが子どものトーナメント試合で投手として活躍するのを見守っていたカクダテ・ミチアキは、次のようにいった――

「政府はわたしたちに科学的証拠にもとづく実際の情報を伝える必要があります。政府はノー・プロブレムといいますが、人びとが納得できるわけではありません」

【クレジット】

The New York Times, “Would You Play Ball at Fukushima?” by SETH BERKMAN, posted on DEC. 29, 2017 at;

A version of this article appears in print on December 30, 2017, on Page D1 of the New York edition with the headline: In Shadow of a Nuclear Disaster, Fukushima Responds With ‘Play Ball’.